【特別投稿】
2022年2月7日 朝日新聞「声」欄に、
「死を思うことは恐ろしいけれど」
を投稿された吉川結芽さんへ、メッセージを送ります。
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死が怖いというのは、大人も変わりません。死は年齢・性別・人種・国籍など、多様な人々があっても、全ての人に平等に訪れることです。
そして、やがて死ぬ存在、と知ることは大事なことで、哲学者ハイデッカーは、『あなたは死にゆく存在だと目覚めなさい』、と主張しています。それは、悔いのない人生をおくるためです。
「死んで戻ってきた人はいない。」「考えて分かることでない。」「心配しないで今を楽しく生きなさい。」「私達だって分からないから、大丈夫。」という人たちばかりです。
しかし、今を楽しく生きる為に、未来を知る必要があるのです。
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仏教では「生死一如」と教えられています。生と死は紙の裏表で、切り離して考えることは出来ない、一つのことなのです。
そして死を考えるとは、死んだらどうなるか、を考えることです。東大教授 岸本英夫氏(故人)は、著作「死を見つめる心」の中で、「この点に集中してくる。」、と表現されました。
「死んだら何も無くなる、気楽に生きよ。」という人もあります。
しかし、あなたが恐怖を感じるのは、今を生きる意味が無くなるからではないでしょうか。
そして、死後が無いなら、生が突然生まれることになる、過去から見れば現在は死後。過去があって現在があるのだから、現在があれば未来がある。死後はあります。これは科学的にエネルギー保存の法則に適います。
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そこで問題は、死後の世界は楽しいか、苦しいか、です。それは、今の自分で決まるのです。未来を作るのは、現在の自己です。これは因果の法則です。
そして「我が歳きわまりて、安養浄土に還来す」(親鸞、御臨末の御書)と未来がハッキリした人もあるのです。
明るい未来に向かって、学び、挑み、生きてください。そして、吉川さんが生きる意味を知る時が来ることを、願って止みません。
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(上記メッセージを朝日新聞に送りましたが、採用されませんでしたので、ここに記載します。)
いよいよオリンピックが開催されるようです。選手たちには最高のパフォーマンスを発揮してもらいたい。そして、日本から世界へ、夢と希望を発信してもらいたい。
様々な問題がありますが、備えを万全にして、安全な大会になってもらいたいと願います。
未来がどうなるか、分からない。これが不安の元です。未来を楽観視して、備えを怠れば、大変な苦痛を受けることになります。
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私の未来はハッキリしていますか?
新型コロナウイルスに感染しなくても、様々な病気が襲ってきます。たとえ健康であっても、日に日に衰え、老後を迎え、やがて介護のお世話になります。老後はなくても、死んでいく未来を逃れることは出来ません。未来の不安をあおるのが目的ではありません。未来をみつめ、その不安を解消することが、現在を明るく、楽しく生きることにつながるからです。
あともう少しだ。頑張ろう。
緊急事態宣言が解除されて、ぽかぽか陽気。満開の桜を見ていたら、花見がしたくなるのは仕方がない。
新型コロナウイルスの第3波、第4波、が心配されています。それが、これまでの対策を全て無意味にしてしまうかのように。
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しかしそうではありません。すでにワクチンが出来ているのです。接種も始まっています。これから、多くの人がワクチンを接種して、免疫を獲得すれば、今までのように恐れて暮らす必要はないのです。
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新型コロナウイルスによる致死率は、約2%。100人の感染者のうち、2人は亡くなってしまう。しかも、あっという間に。
私たちは、「本日の死者は〇人でした」、というアナウンサーの言葉に対して、数字の向こうにいる人たちに、思いを馳せる必要があります。突然、大事な家族を失った人たち。最後のお別れを言うこともできず、遺体に触れることもできなかった人たち。
そんな悲劇を避けるには、感染者を増やさないこと。これしかなかったのです。私たちは、そのために努力したのです。世界的に見ても、よく頑張りました。
でも、もう大丈夫。これからはワクチンを接種して、新型コロナウイルスによる致死率自体を下げることが出来るでしょう。あともう少し。みんなで頑張ろう。
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人生の苦労も同じです。あともう少し、頑張ろう。そのようなゴールがあれば、苦労も乗り越えらえるのです。そのゴールこそが生きる意味です。生きる意味はあるのです。多くの人に生きる意味を知ってもらいたい。
失って、初めて知らされることがあります。
満面の笑顔から伝わる幸せ。
教室に、毎日集まった、友達のぬくもり。
親子で過ごす時間の短さ。
実家に暮らす両親がいる安心感。
全身で歩ける力強さ。
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だからこそ、今の幸せを喜びたい。そして、もう一つ、考えなければならないことは、失うことのない幸せを手にしたい、ということ。たとえ今を喜んだとしても、失ったときの悲しみは逃れられない。失うことのない安心こそ、本当の幸せであり、生きる意味がそこにある。
10年前は何をしていたか?
日本中の誰もが振り返ったことでしょう。東日本大震災で亡くなられた方は2万人。コロナウイルスで亡くなられた方は、この1年で8000人を越えたところですから、被害の大きさを改めて知らされます。未だ復興は終わらず、故郷に帰れない方もあり、10年間という時の重さを考えずにはおれません。
私たちは、10年前よりも今が幸せでしょうか。10年後は今よりも幸せでしょうか。
自然災害とパンデミックは、人の力ではどうしようもない事態を私たちに突きつけました。どんな幸せも、突然崩される時があるのならば、私たちは何を信じて生きれば良いのでしょうか。生きる意味があった、と喜べるのは、壊れない幸せになれた時です。
コロナ禍で何もできなかった。
修学旅行にも行けず、学校の行事は次々と中止。入試だって、マスクしながら。なんで、私たちだけ、こんな目に。
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昨年、今年と受験生は大変でした。そして、楽しいはずの学校生活が、新型コロナウイルスによって、奪われてしまった。そう感じるのも仕方がないと思います。しかし、振り返ってみれば、阪神・淡路大震災で、勉強しながら亡くなった方もありました。東日本大震災は記憶にあるでしょう。災害だけでなく、バブル崩壊やリーマンショックに、就職活動が重なり、入りたい会社に入れない人もありました。時代が与える試練を乗り越えて、どう生きるかを選択するのは自分です。何のために生きるか、生きる意味を知り、自分の人生を生き抜きましょう。
終息の見えないコロナ禍。Stay Homeで動けず、テレワークで会社へ移動することもない。旅行にも行けず、経済は動かない。世界が立ち止まってしまった。
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折角だから、立ち止まって考えよう。
これは、人口減少社会を迎えた日本の試練と同じだ。人口が減れば、需要が減る。経済は縮小する。働く人も少なくなる。拡大することを善としてきた、資本主義経済にストップがかかったのだ。バブル崩壊後、再び成長を、もう一度右肩上がりの経済を、と一貫して求めてきたものは何だったのか。
違うんじゃないのか。私たちが求めてきたものは、本当の幸せなのだろうか。誰もが幸せになりたい。幸せな人生を求めて生きているのではないのか。
本当の幸せとは何か。どうすれば幸せになれるのか。それをハッキリさせよう。
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